ここはゴリラの書斎

ウホウホ、ウホウホホ

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【書評】健康という病 健康情報に振り回されるのは、もうやめようホ

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メディアで健康に関する情報を目にする機会が増えたように感じます。

新聞を見れば健康食品の広告が目に入り、TVをつければ健康に関する番組が放送されて、おまけに雑誌は健康に対する不安をかきたてるような特集が組まれる。

多くの健康情報があふれる今、これらを目にした高齢者が本当に健康になれるのか?

…と思っていたら、やはり同じような考えを持った方がいらっしゃいましたウホ(゚д゚)

健康という病 (幻冬舎新書)

健康という病 (幻冬舎新書)

 

 

どうも!地味に健康オタクのゴリラですウホ。

本日紹介するのは、五木寛之氏の「健康という病」です。

 

 

 

健康という病 ってどんな本?

健康という病が、いま日本列島を覆っている。
メディアに溢れる健康情報は、それぞれ科学的根拠や統計、資料などの専門話を駆使して、
いかにも説得力のある気配をもたらしているが問題は、それらがしばしば正反対の意見を主張することだ。


そして私たちはついなるほどと納得し、きのうは東、きょうは西と流されてしまう。
健康への過剰な不安から右往左往するこの暮らしぶりは、一種の病気と言えまいか――。
正しい情報を見つけ出すヘルスリテラシーのすすめから、養生の作法、医療との付き合い方まで、健康ストレスがみるみる解消する新・健康論。 -amazon内容紹介より-

直木賞作家として有名な 五木寛之氏(御年85歳)による、健康論に関するエッセイです。

 

五木氏は、作中にて「健康を過度に気遣うことは深刻な病気である。」と述べ、自身の体験を交えながら、健康情報といかに付き合っていくべきかを語っています。

 

「健康という病」が、いまこの国を覆っている。

病んでいる人びとが健康を求める気持ちは切実だ。そのことを言っているのではない。「健康になりたい」のではなく、「健康でありたい」風潮の事を問題にしているのである。

(中略)より健康でなければ、と目を皿のようにして健康記事を読みあさり、酒や煙草をひかえ、ジョギングや糖質制限を試みたりする。必要のない検査を受け、さまざまなサプリメントを常用する。(p77-78)

 

20代の私であっても、TVで「納豆が身体に良い」と聞いてスーパーに納豆を買いに行ったり、なんとなく耳にしたというだけで自己流の糖質制限を試みた経験があります。

 

今まさに身体の衰えを感じており、玉石混合の健康情報に触れざるを得ない高齢者であれば、「健康である」ことをストレスに感じる方がいるのもうなずけます。

 

多様な人間、最適な健康法も多様

しかしメディアからの情報の中には、信憑性が疑わしく、混乱を招くようなものもみられます。

 

流行りのサプリメントでも、適当に取り入れて快適に過ごそうという人もいれば、いや、サプリメントは製造過程で科学的処理がされるから、有害であるという人もいる。

生野菜や運動に関しても、正反対の意見が叫ばれている。しかも、両サイドとも発言者は医学博士で、その分野の権威者だったりする。そうすると、我々はどっちが本当なのかわからなくなってしまうのだ。(p172)

 

そのため、自分で自分に必要な健康情報を選択することが重要です。

 

 

必要な健康情報を選択することを、「ヘルスリテラシーといいます。

 

研究機関が出した論文が元となっていれば、その情報は一見して正しいようにも見えます。しかし、論文の内容が全ての人に当てはまるかというとそうではありません。

 

多くの研究は、ある集団を2つのグループに分け、有効成分の入った試験食と、まったく有効性のない偽物(プラセボ)とを飲用させ、効果を比較するという手法をとっています。有効成分を飲んだグループで、プラセボグループよりも症状が改善した場合、その試験食は有効性がある。という判定がなされます。

 

しかし、個人のレベルで見てみると、有効成分を飲んだにもかかわらず効果のない人や、偽物を飲んだにもかかわらず症状が改善した人というのが高確率で存在しています。

 

医学も法律も教育も、人間を普遍的な同一の存在とみなすところから出発する。そうしなければ社会が成り立たないからだ。(p163)

 

人間は百人百様であるように、その健康情報が自分に当てはまるかどうかも異なります。得た情報が本当に自分にとって有用であるか、判断することが求められるでしょう。

 

この本から学んだこと

五木氏は、健康情報に振り回されないため、「治療」ではなく「養生」を実践することを提唱されています。

 

養生とは、人間は完璧な状態で生まれてくるわけではないので、コンディションを少しでも保って生きるという考え方です。そのためには、体の発するメッセージを聞き、現在の体調を的確に判断することが求められます。

 

養生というのは自分対社会の問題ではない。それはとことん自己と自己との関係である。ほかの一万人に効果があったとしても、自分に合わないと感じれば迷うことなく投げ捨てるしかない。(p164)

 

この考え方は、私も非常に納得できました。今後、私が年を重ね、健康に対する常識が変わる可能性があります。そんな中でも、まずは自分の体の声を聴く、ということが非常に重要なことだと思います。

  

おわりに

内容は簡潔で、短時間で読み終えることができました。半面、後半は同じ内容の繰り返しになっている個所もあり、内容に少し物足りなさを感じます。

 

しかし、様々な健康食品やTVの情報に振り回され、健康に対する活動がストレスになっている方にとってオススメできる一冊です。

 

 自分が年を重ねたときに、メディアによるノイズに惑うことなく、自分に必要な情報を選択できる人になりたい、と常々思うゴリラなのです。

健康という病 (幻冬舎新書)

健康という病 (幻冬舎新書)